人力旅専門店 SOUTHERN WORKS

コラム

阿蘇で思い出す

ひとりごとテツの小部屋

2012年04月04日

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阿蘇外輪山のミルクロードを撮影車に後追いされながら走っていると思い出しました。
はじめてこの道を自転車で走ったのは今から26年前、中学生の時でした。小学生から貯めに貯めたお年玉で日米富士のランドナー(判るよね?)を買いました。当時でも8万円くらいした記憶がありますから中学生としては結構な金額です。私の地元にはスポーツバイクの店が無かったので福岡の南米商会から送ってもらい、電話でお店の方に教えを請いながら組み立てました。キャンプ用具は持っていなかったので困っていたら母がテントとガスストーブを買ってくれました。母と一緒に福岡へ電車で出かけて天神のショッパーズダイエーの「スポーツギャラリー」というところで選びました。テントはダンロップのツーリング用、ストーブは当時最新のEPIでした。そうそうバイクに付けるキャリアは天神からバスに乗り「長住サイクル」で買いました。本格的なゴツいものしかなかった(高かった)のですが、ご主人が不要な部分を外してとても格安で売ってくれました(まさかこのお店のご近所に住むことになるとはなあ)。とにかく田舎の中学生には情報が無かった。
そうして準備が済み、大牟田~久留米~日田~九重~菊池と周ってツーリングしました。確か2泊だったと思います。このミルクロードを走った時は大雨で、霧で真っ白、トラックにブーブークラクションを鳴らされたのを覚えています。いろいろな場所でいろいろな方に良くして頂いたのは今でも忘れません。現在からすると貧相で重たい装備を積んでたと思うのですが、つらい記憶はまったくありません。

その頃の直毛で坊ちゃん刈りの少年(テンパーになったのはその後である:重要)は今はヒゲ面のおっさんになりそれらしい事をほざきながらその頃から希望していた仕事をするようになりました。前述の事が原体験で云々・・・などと理屈っぽいことではく、単純に好きなことにしか関わらなかった結果です。野外で遊んだり生活する為の道具を売るのがそのおっさんの仕事の一つなのですが、あまりにモノにこだわりすぎるのはどこか恥ずかしい、という気持ちがあります。なにか行動するのが最初です。ただ仕事なので当然こだわり抜いて売りますがそれはお客様に損をさせないという事と同時に、自分が納得できるもの以外に関わりたくないという事も大きいです。「これはちょっとなあ、でも利益でるしなあ」という商売は自分にとって完全にストレスであり、それならばまったく思い入れのない仕事で(むしろその方が)良いのです。基本的に自分で使った道具しか店には置きません。なので商品は少ないです(←それは資金力の問題!などという輩はウチのロッキーに腰を振られることになるであろう。しかも激しく)。インターネットや海外通販などで簡単に安くモノを買うことができる現在、それでもあまり値引きのできない当店でお買い上げ頂くのは恐縮することでもありますが、そこには私が身銭を切ったのちにお勧めしているということもご考慮頂ければ、と甘えてみたり・・・。

ウチで販売するものは一般的に「高い」と言われるものが多いのかもしれません。「高級だから」「ブランド」というだけで所有して満足するのは単なる嗜好品です。それが悪いとは言いませんが私の趣味では無い。高級で高品質なものであれば、その価値分もしくはそれ以上にそのものが持つ能力を発揮する機会を提供します。ブーツと同じでピカピカのモノよりヤレたものが単純に「偉い」のは言うまでもありませんよね。
蛇足「格好良いということはなんて格好悪いことなんだろう」早川義夫は喝破しております。

という訳で長くなりましたが今後とも宜しくお願い致します。



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